40代から始めるクラウドワーカー

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老後の備えのなさに愕然とする日々から脱出するべく副業として今頃悪あがきを始めます、あと偶に筋トレとネコ

幸せはどうすれば計ることができるでしょうか?

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5日前から唐突にユカサン (id:yukasanbeauty)が記事にされていた良い事リストをやり始めています。

sakuraaji.hatenablog.com

 

せっかくなので3日前からツイッターで呟いてみたりしてもいます。

 

まだまだ幸福感を得られるレベルまでには達していないので
いつか幸福感をかんじられるようになるでしょうか

 

幸福感というのはほっとんど考えた事も無かった事もあるんですが
皆さん結構考えるものなんでしょうか?(^_^;)

 

「あの人は、いつも幸せそう」とか、「薄幸そうな人」なんて言ったり
することがありますが、幸せの多い少ないは、どうすれば計ることが
できるんだろうか?と思ってしまいました。

 

過去の人生を振り返ってみて、幸せが多かった時期とそうでない時期の違いはあるのかなーと考えてみましたが


いまいち分かりません(笑)


幸せな人とそうでない人は、一体どこが違うんでしょうか

そもそも幸せって、一体何なんだろう?

 

なんだろう?ばかりが浮かんでくるキーワードです。

 

たぶんですけど、人生の100%が幸せな人、あるいは逆に幸せが全くない人というのは、いないんじゃないかなーと思ったりしてしまう性格ひねくれものですが、人それぞれに「幸せの程度」というものがあると思います。


もしそれを何かで計ることができるとすれば、どんな基準で計れるかな?

 

ぱっと思いつくものとしては

「自分の好きなことをやっているか」

とかでしょうか?

 

自分の好きなことをやっている時って、後で考えればすごく幸せなことが多いと思うんです。


人によって幸せを計る基準って、いろいろあると思いますが、あとで思い返してみたら

 

「何かに没頭しているときがある」

 

のが基準かなと思ったり。


例えば、外食で物凄く高級な美味しいお店で料理を食べていたとしても、


「家に帰ってあれやらないと」

 

と考えながらだと、味を感じることすらない気もします。

 

他には、何か自分の好きな事をしていても

「明日は仕事だ」

なんて考えながらだと、たとえ好きなことをしていたとしても、あまり幸せな気持ちにならない気がします。

 

いわゆる「心ここにあらず」の状態だと、どれだけ恵まれた環境が目の前にあっても、
幸せであるとは言い難いのではないのかな?


逆に、些細なことでも目の前のことに没頭したり、普段の料理でも、十分に味わって食べたり、仕事や勉強など、誰かから強制されてやっていたとしても、その時間はそれだけに没頭出来ているわけで、そのときは目の前のことで頭がいっぱいいっぱいなので「自分は今幸せだ」
なんて感じる余裕はないと思います。

 

でも、それが終わって後から振り返ってみたとき「あの時は幸せだったよな」
なんて感じらるのではないではなかろうかと思う次第です。

 

話が長くなりましたけど、良い事リストは

 

今日という一日が終わり、今日一日を振り返ってみてみるのは効果が高いなと感じでおります。

 

良い事リストをきっかけに一日振り返ってみてはいかがでしょう。


今日という一日が、みなさんにとって幸せな一日となりますように。

 

 

今日の運動

 

一日15000歩

筋トレ腕回り

 

 

 

 

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